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池田理代子さん/劇画家、声楽家 「今でも進歩があるから楽しい!」 2007.11.13
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感動はそこら中に転がっています

一世を風靡した劇画「ベルサイユのばら」の作者である池田理代子さん。劇画界の巨匠としての地位を築き上げましたが、47歳にして新たに音楽の世界へと飛び込む決意をしました。

■一度は捨てた、音楽への思い

 「ベルサイユのばら」と聞いてぴんと来ないはいから世代の方はいないのではないでしょうか。少女漫画の枠を越え、宝塚歌劇団によって舞台化されたりと、さまざまな形で今もなお多くの人々に愛され続けています。世の人々のマリー・アントワネット像は「ベルサイユのばら」によって確立されたと言っても過言ではありません。劇画界で不動の地位を得た作者の池田理代子さんですが、今は「ソプラノ歌手」としての新たな道を歩み始めています。

 「昔から音楽が好きで、つねに音楽と共に生きてきたと思っています。幼い頃はピアノを習っていたんです。本当は音楽大学に入ってプロになりたかったのですが、現実と照らし合わせてみるとそれはとても難しく、たちどころに諦めました。漫画家になってからも心の片隅にはつねに音楽が…。と言いたいところですが、実際には立ち止まってじっくり考える暇もないほどに日々の生活は忙しく、特に音楽について考えるということはありませんでした。音楽への思いは、完全に過去へと置き去られていったのです」

■漫画家というのは、過程の結果に過ぎない

 池田さんは20代の頃に漫画家としてデビューしましたが、それは業界の中では極端に遅い方だったのだそう。10代の高校生のうちにデビューを果たすのが普通で、大学に通いながら漫画を描くということは大変に珍しかったのだとか。

 「数ある職業の中からなぜ漫画家という仕事を選んだのかと言うと、たまたま認めてもらえたからです。私は誰かのアシスタントをやったというような経験はなく、絵も下手ですし、自分の好きな漫画家の見よう見まねでやっているだけでした。ただ、話の構成は得意でしたから、そこを認めてもらったのでしょうね。本当は私、小説を書きたかったんです。色々書いては応募したりしていましたけれど、今のところは『佳作』が最高ですね。小説は今も、応募するあてもなく書き続けています。漫画家というのは、お話も、脚本も、ストーリーも、演出も、すべて自分で手掛けているでしょう。だから、良い映画監督にはなると思います。私自身も映画を撮れるのではないかしら、と思うことがあります(笑)」

■「ベルサイユのばら」という作品との出会い

 「ベルサイユのばら」ではフランス革命を舞台として、実在の人物であるマリー・アントワネットや架空の人物であるオスカルやアンドレなど、魅力溢れるさまざまな人物たちの人間模様が、当時のフランスの国勢を背景に描かれています。

 「フランス革命を描きたかったわけではありません。マリー・アントワネットという人物を描きたかったのです。何かの形で、彼女の生涯を描きたかった。それがたまたま漫画という形で世に出ただけです。私自身も高校生のとき、シュテファン・ツヴァイクが描いた彼女の伝記を読みました。そこで彼女に対して好感を抱き、いつか何らかの形で自分も描きたい、と思うようになっていったのです」

■作者の思いは、読者がそれぞれに受け止めるもの

 「私は、誰かのために漫画を描くということはありませんでした。『ベルサイユのばら』に関しては、少女誌での連載だったのでとにかく『わかりやすさ』には気を配りましたが、それ以外はすべて自分の描きたいように描いていましたね。読者を意識して話を進めたり、ここでこういうことを感じてほしいとかそういった狙いは、一切ありませんでした。ですから、この物語で何を伝えたいか、どんなメッセージを込めたか、と聞かれても、正直私にもわからないんです。私はただ自分の気持ちに正直になって、衝動のまま、魂が赴くままに描いていただけなのですから。『伝えたい』とは思いません。たとえメッセージを込めたとしても、読者の方々が自分の思いを漫画から汲み取ってくれるかどうかはわかりませんし、さっぱり何も伝わらないかもしれない。それらはすべて、読者の方々の主観に委ねられているものです。原爆などの、テーマ性のある話は別ですけれどね」

 そういえば面白い話があるんです、と池田さんは続けます。

 「とある著名な作家のお孫さんが、学校で国語のテストを出されました。文章読解の項目があり、そこでは彼女のお祖父さんの作品が取り上げられていて、「この部分で作者は何を伝えたいのでしょうか?」という問題があったんです。帰宅してからお祖父さんに直接聞くと、『何もない』とのこと。だから解答欄に『何もなし』と書いたら、バツを付けられたんですって(笑)。おかしな話ですよね、本人がないと言っているのに。こんなふうに、受け取り方は読者の方によってさまざま。人の数だけ思いが存在するのですから、それぞれが好きなように何かを感じ取ってくれれば良いと思っています」

■夢は実現中! これからも進歩したいから

 怒濤のような漫画家生活に追われ、やっと我が身を振り返ることができたのは40代に突入してからだと言います。

 「40代に入って、自分の人生についてじっくりと考えるようになりました。やり残したことはやっておかないと、と思うようになったのです。やり残したことなんてたくさんありますけれど、その中で実現可能なものと、現実的に考えて難しいと思えるものとを冷静に振り分けていきました。そんな中で一番に輝いたのが、クラシック音楽を勉強するということでした。音楽は私にとって、残された夢。それでも散々迷いました。5年間も悩み続けていたんですよ。生半可な気持ちではやりたくなかったから、きちんと音楽大学に入って真剣に取り組みたいと思いました。漫画の世界での私の名前は、クラシックという新しい世界では何の役にも立ちません。ゼロから新しいことを始めるのにはとても覚悟が要りました。けれどそれを振り切ってでも、歌を歌いたかった。だから思い切ったんです。面白いことにね、今でも進歩しているんですよ、この年になっても。進歩する限りはレッスンは続けたいと思っています。夢が叶ったとはまだ言えません、今まさに実現中です。夢を叶えつつある今の段階は、とっても楽しいです」

 つねに全力で生きる人生においては、感動はつきものなのかもしれません。   

PROFILE   Riyoko  Ikeda

劇画家、声楽家。1947年大阪府生まれ、東京育ち。東京教育大学(現筑波大学)に通う傍ら、漫画を執筆。1972年に週刊マーガレットにて連載を開始した『ベルサイユのばら』が空前のブームを引き起こし、少女漫画家としての人気を不動のものに。『オルフェウスの窓』で日本漫画家協会優秀賞を受賞。だが1995年、一転して東京音楽大学声楽科に入学、1999年に卒業。声楽家としての活動を始める。
【HP】www.ikeda-riyoko-pro.com

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