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~第5回~ [アメ横]の謎 2007.07.02
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JR上野駅と御徒町駅の高架線沿いを結んだ日本屈指の商店街、買物の殿堂「アメ横」。多種多彩な出店業者は食料品に始まり、衣料品・貴金属から精力剤まで、あらゆる物が安価で揃う。総店舗数はざっと500! 何しろ最寄りがJRの2駅以外に地下鉄6駅・私鉄1駅と、すこぶる交通の便が良い。周辺は美術館・博物館・動物園・寺社他、観光名所が目白押しで、人集めの立地条件としては最高だ。

 そんな「アメ横」、そもそもの名前の由来に2つの説があった。果たしてどちらが真説か?

 第一の説は、以前この土地に「飴」を売る業者=「アメ屋」が集まっていたからというもの。もう一方は戦後、米軍経由の物資の売買拠点として通称「アメリカ横町」となり、それを略したとの説。実はこの2説、両方とも正解。戦後間もないヤミ市時代、「イモ飴」の販売業者がこぞって出店し、甘さに飢えた人々が殺到した。最盛期には300軒の「飴屋」が乱立したそうな。飴以外の食料品や日用品=国民羨望の舶来品が店頭に溢れるのは1950年代の朝鮮戦争以後。この時から「アメリカ横丁」とも呼ばれ始めている。ちなみに「アメ横」命名以前の1945年当初、この土地は単に「上野のヤミ市」とか「ノガミ」(阿佐田哲也の麻雀小説ではお馴染み)の俗名で通っていた。飴市場が定着する1947年頃、自然発生的に「アメ横」の名が生まれたらしい。

 時代のすう勢で現在、「飴の専門店」はすっかり影を潜めてしまい、「菓子専門」の「二木の菓子」が老舗としてその流れを今に残しているように見える。但し「二木~」の前身は「あられ」「かりん糖」業者で1947年創業時、飴を専門にはしていなかったとか。

 1980年代にはショップビルの「アメ横センター」と高架下の「アメ横プラザ」がオープン。モダンに整備したというわりに散漫で迷路的な内部は、アメ横の新しい魅力を垣間せてくれている。

 平成の現在、景観こそ変われど、未だ「アメ横」の活気と街全体が放つワイ雑さはヤミ市時代の匂いを濃く残しているように思われる。とはいえ戦後60年、様々な品物に対して人々の価値観は激変した。その日の買出しに命を賭ける人はいないし、ショッピング=娯楽的要素が強い。ヤミ市の雰囲気を残す異郷「アメ横」は、一方で当時とは似ても似つかぬ空間でもある。

取材協力/YC入谷上野

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