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~第17回~ 荒川区南千住散策 2008.05.09
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 今回は荒川区南千住の散策コースをご紹介してみたいと思います。

 JR南千住駅の西に位置し日光街道へと続く「山谷通り」は通称「コツ通り」とも呼ばれ、かつては両側に畑が広がり富士山を望むこともできたというが、現在は商店が立ち並んでいます。「コツ」の名の由来は、「小塚原(こつかっぱら)」を略した」「小塚原刑場にあった火葬場に因んで骨(コツ)と付けられた」などの説があります。江戸時代のお仕置き場であったこの地には、刑死者の菩提を弔うため寛文年間、両国回向院の子院別寮で刑死者や牢死者を埋葬する小塚原回向院が創設されました。

 山谷通りには延命寺、回向院、日慶寺、素盞雄神社、誓願寺、熊野神社などがあります。

 そこで今回は回向院と小塚原刑場跡・延命寺を紹介します。

 回向院は、寛文7年(1667年)本所回向院の住職弟誉義観(ていよぎかん)が行路病死や刑死者の供養のために開いた寺で、当時は常行寺と称していた。安政の大獄により刑死した橋本佐内・吉田松陰・頼三樹三郎ら多くの志士たちが葬られている。

 明治8年(1771年)蘭学者杉田玄白、中川淳庵、前野良沢らが小塚原で刑死者の解剖に立ち会った後に、あの有名な『解体新書』を翻訳し、日本医学史上に大きな功績を残したことを記念して、大正11年(1922年)に観臓記念碑が建立されました。

 小塚原刑場跡・延命寺は江戸の仕置場(刑場)、品川の鈴ヶ森と千住の小塚原の二つの内の一つである。小塚原の刑場は、間口60間余(約180m)、奥行30間余(約54m)で、明治のはじめに刑場が廃止されるまでに、磔、斬罪、獄門などが執行された。首切地蔵(区指定文化財)は、この刑死者の菩提を弔うため寛保元年(1741年)に建てられたものである。

 下町風情あふれる歴史と社寺の散歩に、ぜひ一度足を運んで下さいませ!

文と写真/YC東日暮里

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