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砧・成城界隈 ~リニューアルの町~ 2008.07.06
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砧界隈は一面の原野

 砧の地名を歴史的にさかのぼってみると、「万葉集」巻十四に「武蔵国歌」(東歌)として次の歌がある。

 たまがわに
 さらすてずくり
 さらさらに
 なにぞこのこの
 ここだかなしき

 の一首がある。

 むかし、多摩川に手作りの布を晒していたが、玉のように清き流れに布を晒し、玉の肌の美しい娘を連想し、さらにさらにどうしてこの娘がこんなにかわいいのだろうと歌ったものである。

 「てづくり」とは手作りの布の意で、また朝廷に納める調の布ともなった。

 このあたりに調布をつくるときに使う砧に起原する旧砧村は、喜多見、岡本などの旧村を含んでいた。

 砧の里の中心は江戸時代、喜多見氏が名乗り、子孫は分かれて喜多見、丸子、六郷、柴崎、飯倉、渋谷などにいたとされている。

 このようなわけで、喜多見氏の足跡を偲ぶには小田急線の成城学園前か喜多見駅から世田谷通り、東名高速道にかけて散在する寺社古墳に種々跡の記録が残っているが、いまの砧は当時は一面に広がる原野だった。

古老に頼る、昔の砧の里

 いま、この原野の砧の里にスポットを当ててみると、古老に頼るしかないが、ふと、二十三年前に聞いた話を記した「きぬたポンポコセルバ」の一面を覗いてみた。

 世田谷、砧四丁目二四の(故渡辺高茂さん。当時80歳)のお話によると、高茂さんは代々この地に住み、専業農家として広大な土地を耕作していた。

 「いまは私が過去帳なしで話せるのは、元治二年(一八六五)死亡の平治郎→天保九年(一八三八)生まれの茂吉→明治十五年生まれ(一八八二)の春吉→明治三十七生まれ(一九〇四)の私(故人高茂の家系なのです)」

 専農一筋の高茂さんは、主に「大蔵大根」の生産に励んでいたものでした。

 その間に、関東の大震災、大東亜戦争を体験、移り変わる社会と、わが土地、砧の変貌は目を見張る計りだった。

 大蔵大根は色白で、やわらかく、東京市民には喜ばれていたもので、どこの農家でも生産に励んでいたものであった。近くの清流での大根の泥落は、寒風にさらされながらも又皆の社交場でもあった。

 また、今日のようにゴルフ全盛時代のとき昭和十六年まで、家の地続きで環八までの丘陵地に、東京ゴルフ倶楽部と云うゴルフ場(十八ホール)があったが軍の意向により取り潰したが残念であった。

 昭和二年小田急線が開通して以来、砧地区は、急速な発展を遂げ、又高架線となった小田急の祖師谷大蔵駅、成城学園前駅など更にリニューアルして、名称もウルトラマン商店街、成城コルティー(成城の中庭の意)など新たな新名所へと変貌を遂げ、又東京ゴルフ倶楽部跡地は砧公園となり、都民の憩いの広場となっている。

文と写真/YC成城南

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