アクティブなシニアライフを応援する情報サイト

素敵に年を重ねる’あなた’のための応援サイト
Home

文字サイズ変更

  • 標準
  • 大

はいからCHANNEL インターネットTV
はいから大人の部活
遺言アプリ100年ノート


メディアのご紹介

  • 季刊誌はいから
  • 新聞はいからエスト

好評連載コラム

YCインフォメーション

東京・大田区 2010.10.27
Share

 蒲田といえば何を思い浮かべますか?「蒲田行進曲」。そう、現在JR蒲田駅では毎日何百回とこの曲が流れています。誰でも一度は聞いた事があるのでは?


 「松竹キネマ蒲田撮影所跡」、大正9年から昭和11年まで夢を発信し続けたこの場所、当時は「流行は蒲田から」と言われ、周辺には俳優も多く住み、銀幕のスター目当てに銀座や浅草から円タクで乗り付ける人々まで居たそうですからその賑わいぶりがいかばかりか想像してみて下さい。田んぼだらけで蛙が鳴いていたこの地がいきなりお洒落なネオンの街へと変貌したのです。


 現在は区民ホール「アプリコ」が建ち当時の面影はありませんが、敷地内には映画で使用された「松竹橋」が残されています。近代的なホールの一角から当時に想いを馳せてみるのもいいかもしれません。夢を発信しているという意味では今も昔も変わらない場所、ということでしょうか。


 そしてもうひとつ、ぶらっとお散歩するなら是非立ち寄って頂きたい場所、女塚神社をご紹介しましょう。もともと神社は蒲田駅東口にあった「八幡神社」が西口にある「女塚古墳」に移転してきたもので、「女塚古墳」は新田義貞の子・新田義興の侍女少将局を祀っています。


 少将局とは、義興公の暗殺を計画していた竹沢右京亮が義興公を油断させる為に送った養女でした。義興公は足利基氏の策略により矢口の渡し付近で墳死しますが、それ以前に暗殺計画を企てたのが右京亮です。右京亮は義興公を宴に呼び出し暗殺する計画を立てますが、計画を知った少将局の文により暗殺は失敗に終わります。それを知った右京亮は少将局を殺害、哀れに思った村人により祀られ以来この地は「女塚」と呼ばれるようになり、村民から崇敬の厚い聖地として受け継がれてきました。義興公は少将局をいたく可愛がり、一日たりともそばを離したがらない程だったそうです。


 遠い昔の話ですが、とても切なくロマンチックなお話ですね。1013平方メートルと小ぶりな神社で普段はとても静かですが、お祭りの時には屋台が立ち並びとても賑やかでお神輿も練り歩きます。


Back PageTop

  • 会社案内
  • プライバシーポリシー
  • ご利用規約
  • お問い合わせ
  • 広告掲載のご案内