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東京・江戸川区/江戸風鈴の「赤」 2010.10.27
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 「魔除けだよ」


 篠原儀治さん(85)は即座にそう答えた。


 江戸時代、風鈴は全体を赤く塗られ、対になる絵が描かれていた。例えば、宝船と松といった具合。「金運(宝船)を待つ(松)という意味だが、神社の鳥居にも使われているように「赤」は災いを防いぐ色とされ、赤い風鈴は死神、貧乏神、疫病神などから守ってくれる魔除けだと教えてくれたのだった。


 戦後、江戸時代からの伝統が途絶えかけていたガラス製の風鈴を篠原さんは「江戸風鈴」と名付け、天秤棒を担いで売り歩いた。そんな地道な努力が報いられ、デパート(浅草松屋)で「職人展」を開くことができた。ようやく販路も広がった。以来四十余年、現在も第一線に立っている。


 後継者の長男・裕さん(60)とともに篠原風鈴本舗(江戸川区南篠崎)を運営し、技術の継承と風鈴の普及に努めている。小学生への体験教室もこの夏で四十一回を数えた。フランスやアメリカへも出向き、アメリカではクリスマスツリーの飾り付けに使われるなど世界の街角で江戸風鈴が親しまれた。


 篠原さんは、第二次大戦では中国戦線で戦い、三十三人の部隊の内、生き残ったのが三人だった。篠原さんはその一人。だから苦難に負けない。めげない。風鈴が下火になり、問屋が壊滅し、仲間が次々に廃業していっても独り頑張った。天秤棒担いで売り歩くぐらい何ともなかった。


 「風鈴売りには売り声がないんだよ、音でわかるから」


 と屈託がない。


 一時期、魔除けの「赤」をやめたことがある。民主主義が浸透して自由な発想が広まった頃のことだ。新しいものが好まれ、古いモノは疎んじられた。篠原さんは「赤」の代わりに透明ガラスに金魚や季節の花を描き、新しい風鈴を作ることで対応し、苦しい時を乗り切ってきた。


涼しげな音色を奏でる風鈴だが、その裏には、伝統を守り続ける篠原さんの苦闘のドラマが秘められていた。


【篠原儀治さん】
大正13年生まれ。江戸川区無形文化財保持者。東京都優秀技能賞受賞。都知事賞受賞。工芸会会長として活躍中。平成16年名誉都民の称号授与。


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