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東京・文京区/本郷三丁目からの歴史散歩 2010.11.25
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 本郷と聞けば、その昔、有名な文豪が集いし場所であり、歴史ある場所である事を皆様はご存じの事と思います。特に有名な話として、本郷三丁目交差点にある老舗の小間物商「かねやす」を詠った古川柳に『本郷もかねやすまでは江戸のうち』というのがあります。

 

  その昔、享保15年(1730)に大火があり、湯島や本郷一帯が燃えたため、再興に力を注いだ町奉行の大岡越前守は、ここを境に南側を耐火のために土蔵造りの塗屋にすることを命じた。一方で北側は従来どおりの板や茅ぶきの造りの町家が並んだため、江戸の郊外的感覚で把えられていたためである。

 

  また、本郷三丁目交差点から本郷通りを東大赤門方面(中山道)に歩くと『見送り坂、見返り坂』があります。

 

 

 その昔、加賀屋敷(現東大構内)から小川が菊坂の谷に流れており、この上に橋を架けたのが別れの橋と呼ばれていました。江戸を追放された者が、この別れの橋で放たれ、南側の坂(本郷3丁目寄り)より親類縁者が涙で見送ったから『見送り坂』。追放された人が振り返りながら去ったから『見返り坂』といわれています。現在、小川も別れの橋も在りませんが、本郷3丁目交差点から20~30m北側の歩道上に標識が建っています。

 

  読売センター湯島が店舗を構える大横町通り商店街の中ほどに1901年(明治34

年)創設された有名な女子美術学校(現在の私立女子美術大学)が在りました。残念なことに現在は、商店と住宅街となっており、面影も残されておりません。また、この界隈は弓町(ゆみちょう)と昭和40年まで呼ばれておりました。

 

  昔、江戸城の鬼門にあたるので、御弓組与力同心六組の組屋敷として、毎日的場で弓を射させたので、俗に御弓町と称した。その後、寛永寺の創立で御弓組は他に移り、全部が武家屋敷となりました。

 

  1872年(明治5年)武家地の廃止で、通称の御弓組の御の字をとり弓町となったそうです。現在では町会名にその名残があり本郷二丁目弓二会と称しております。

 

  現在と昔が入り混じった本郷界隈ですが、どこの町でも同じように歴史や文化に触れてみると新たな発見がある事でしょう。最後に本郷を訪れた時は、ぜひ本郷三丁目交差点から東の空をご覧になって下さい。新しい東京の象徴であるスカイツリーの姿がご覧になる事が出来ます。

 

 

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