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洗足池のすごい所!読んだら来たくなるよ~! 2011.04.29
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■洗足池の由来

 

 この地域の古い地名は「千束」(せんぞく)であって、その名は平安時代末期の文献にも見られる。由来としては仏教用語の千僧供料(せんそうくりょう)の寺領の免田であって、千束の稲が貢租(税)から免除されていたとする説や、「大池」(洗足池の別称)を水源として灌漑に利用されたので稲千束分の税が免ぜられていたとする説などがある。のちに、身延山久遠寺から常陸へ湯治に向かう途中の日蓮が、池のほとりで休息し足を洗ったという言い伝えが生まれ、千束の一部が「洗足」となった。
 

 この伝承が、「千束の池袈裟掛松」として広重の絵になっています。

 この洗足池畔に、江戸無血開城の立役者である勝海舟が、かつて別邸があり、海舟は幕末、新政府軍の本営が置かれていた本門寺に西郷隆盛を再三訪ねているが、その往復には表通りの東海道を避けて、裏筋の中原街道を選んでいた。その往来の途中で、風光明媚な洗足池に感嘆し、池畔の茶店で食事することを好んだといいます。

 

 海舟がここに構えた藁葺の別邸は、戦後まで残っていたが、失火で焼けてしまいました。
 海舟は明治32年に77歳で没するが、生前愛した洗足池の池畔に葬るよう遺言し、いまはその墓所の隣には、西郷隆盛の留魂碑が並んでたっています。
 

■「千束八幡神社」と

「名馬池月」

 

 千束八幡神社は、洗足池の西のほとりに鎮座し、860年(貞観2年)に千束郷の総鎮守として宇佐八幡から勧請された古社である。

 

 また、源頼朝の旗揚げ伝説も残っており別名「旗揚げ八幡」とも呼ばれている。

 1180年(治承4年)、安房国から鎌倉へ向かう途中の源頼朝がこの地に宿営したところ、突然現れた駿馬で、頼朝軍はこれを吉兆とし、旗を差し上げ大いに喜んだという。

 

 馬体の白い斑点が、あたかも池に映る月影のようだったので「池月」と命名され、宇治川の合戦では、佐々木高綱を乗せ、梶原景季が操る名馬「磨墨」と先陣を争い、一番乗りの功名を立てたと伝えらるている。
 このときのライバルであった「磨墨」を葬った場所と称する所は日本各地にあり、東京都大田区南馬込3-18-21にも磨墨塚と称す塚がある。

 

 

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