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神奈川県・厚木市 2013.10.01
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古道の交わる歴史ある風景・厚木地区

                                                  

 相模平野の中央に位置する厚木市は、温暖で山、川の自然環境がよく一万年前の縄文時代には、人々が定住していたと推定されており、その後の弥生、古墳時代の遺跡、遺構も数多く市内で発見されています。

  中世以降の郷としてその名を現在に残すものの中に毛利庄、愛甲庄、四宮庄、石田庄などがそれであり、その中の毛利庄は、戦国時代中国地方の覇者毛利一族の出身地といわれております。

  「あつぎ」という地名が史書上に登場するのは、南北朝時代であり建武5年(1338年)夢窓疎石が高師直にあてた書状の中に「相州厚木郷」と記されているのが最初であります。  鎌倉時代初期には源頼朝の篤い観音信仰と源平合戦で敵味方を問わない供養の為に坂東三十三観音霊場が関東各地につくられました。

  古くからの巡礼道として厚木の飯山観音より座間市の星の谷観音に至る古道があります。

  市内妻田地区を通る巡礼道沿いにある妻田薬師(遍照院)は古義真言宗の白根山遍照院東光寺の別当寺が管理する仏堂で古くより近隣の厚い信仰をうけています。また妻田薬師境内東には、現在も涌き出づる清水池があります。口承によりますと、その昔、奈良時代良辮僧正が薬師堂で七日七夜の修行をされ、満願の朝方、清水池に蓮の白根がいっぱいに伸び、きれいな花が咲いたと伝えられております。また薬師敷地内にある厚木市立清水小学校の校歌にも「自然の母の乳房より、ここに流るる清水あり。例えば優しき親心、あふれ出つるに似たるかな」と歌われるこの泉は、小学校の校名のもととなりました。

  清水池の脇には「かながわ名木百選」に選ばれた樹齢700年の「妻田の大クス」があります。戦国時代永禄12年(1569年)甲斐の武田信玄が小田原城を包囲して甲斐に戻る途上、薬師の社堂焼き討ちをした記録が残っており、大樹の幹には今もその焼き討ちの際についた火傷のあとがあると伝わっております。

  薬師より荻野、津久井方面へと続く現在の国道412の周囲の古道は、現在も信玄道と呼ぶ所があり当時戦国最強といわれた武田軍団への畏怖が今に伝わっています。

 

 

 

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