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編集部だより

義理と人情と心意気 浅草おかみさん会・理事長 冨永照子さん 2011.09.28
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先日、お取引先のお客様の講演会に参加させていただいた。 講演者は『浅草おかみさん会理事長の富永照子さん』という、74歳のとてもパワフルな女性で、 『世のため、人のために』みんなの喜ぶ顔が私の財産と題し、1時間30分の講演時間があっという間に過ぎてしまった。 そんな魅力的な女将さんでした。

 

「浅草・おかみさん会」というのは、浅草の栄枯盛衰が関係しています。浅草といえば『浅草寺』『雷門』くらいしか知らない私ですが、 浅草公園六区と聞けば、日本を代表する「歓楽街」と年配の方だとご存知の方も多いと思います。

 

戦前・戦後は演芸、演劇、映画など、今で言うエンターテイメントの一大拠点としてにぎわっていたそうです。 それが、1960年代に入り、テレビ、東京オリンピック、東海道新幹線の開業など高度成長とともに、新宿、渋谷、六本木方面に新しい若者文化の街ができ、 若者世代の嗜好と合わなくなった浅草の劇場や映画館は閉鎖に追い込まれ、人通りも少なくなり、当時の浅草は“きたない”“こわい”“くらい”の3Kの町 として「斜陽浅草」という活字が新聞に掲載されるまでになっていたそうです。


そして登場するのが、1968年「愛する自分たちの街を何とかしよう」と20人ほどの商店街のおかみさんたちが立ち上がり、「浅草おかみさん会」を結成、 浅草の案内図板づくりからはじめ、六区南地区再開発にともないニューオーリンズから本場のジャズ奏者を呼び寄せ公演。 浅草サンバカーニバルの開催、2階建てバスの運行など、現在でも浅草の核となるイベントとを次々と成功させてきました。 

 

イベントを立ち上げ継続しているだけでもすごいことなんですが、 会長の冨永照子さんのさらにすごい所は、上記のイベントを開催に至ったその内容です。当たり前の事ですがイベントを開催するには “お金”や“行政、関係者などとの交渉・調整”が必要になってくるわけで、そのリスクを自分たちで背負って立ち上げっているところです。 資金不足については、幅広い人脈を通じて資金援助の交渉や行政の働きかけなど、あらゆる可能性を使って諦めずにがんばっている姿は、 すごいのひと言です。


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